原木の伐採から、チェンソーを担いで山へ通い、自らやっています。
伐った木は、運搬車や軽トラックに手積みし、炭窯まで運びます。
太い原木は、マサカリやカナヤなどの道具を使い、手で割っています。
炭窯も、石と粘土を使って手づくりです。
どれもこれも、重いもの相手の仕事です。
おまけに炭を出す時は、木が姿を変えた1000℃にもなる真っ赤な炭が相手です。
ずっしり木の重さを感じます。石や土の重さも感じます。
時に、「いのちとは、一つに重さである」と、感じ入ったりします。
「いのちとは、一つに熱である」とも感じます。
始めた頃、文章にした「白炭づくりのポリシー①[妙なる木のいのち]」を、また別の言葉でわかりやすくと、キャッチフレーズを加えました。
炭焼きを始めて数年経ったところで、パンフに新たに加えた一文です。
・山の緑を保ちながら続けていける炭焼きです。
・雑木林は適期に適度に伐ることで、萌芽更新によって若返ります。
そして2、30年すれば再び炭を焼くことができ、自然を損ねることの少ない、天然自然の理にかなった営みです。
・山の様々な木が、様々のまま生かされるよう、木のいのちを預かるような気持ちで炭を焼いています。・山の緑を保ちながら続けていける炭焼きです。
・雑木林は適期に適度に伐ることで、萌芽更新によって若返ります。そして2、30年すれば再び炭を焼くことができ、自然を損ねることの少ない、天然自然の理にかなった営みです。
炭焼という仕事がいかに永続可能な営みであることを伝えたいという思いからの言葉です。増えた分だけ、いただいて糧とするあり方です。これは、大げさにいえば、現在行き詰まっている現代の経済のあり方(成長のみを是とする経済、そのためには自然環境や安い労働力が搾取され続ける。無から成長はこない)を切り拓く、未来の幸せの経済のあり方のお手本ともいえるかもしれません。
・山の様々な木が、様々のまま生かされるよう、木のいのちを預かるような気持ちで炭を焼いています。
いのちに感謝するということは、人間の暮らしに欠かせないことだと考えています。どんなにAIが活躍する時代になったとしても、いのちはいのちをいただかないと、生きていけません。暮らしていけません。
ロゴマークと一緒に彫った火鉢